この持続性のないhappyに浮かれポンチ私

昨日はここ最近一番鬱がひどくて、耐えきれずいつもならあまり長電話をしない母とも30分ほど話をした(しかも私が切ろうとする母をひきとめた)。気兼ねなく話せる相手が母親以外思い浮かばなかったというのも悲しい話。でもそれが現実であるのよ!気持ちがグシャグシャになってコミュニケーションの取り方がわからなくなってしまっていて、話題の取捨選択ができなかった。親が聴けば心配するようなことから、今日食べたおにぎりの話まで、母親は適度に聴いてくれていた。母親も母親でどうでもいいこと(平井堅のコンサートに行ったこと、歌うまかったよー!ってそんなん知ってるよ!)をベラベラと喋っていたので楽だった。とにかく人と話がしたかった。
夜にまた自暴自棄になりそうになって、よくないなーと思いながらも友人に電話をかけた。かけた時に心臓がバクバク大きな音たててたのがわかったし手も震えていた。電話ごときで何これ。友人と電話で30分強話をして、なんだかとても救われた気持ちになって、安眠。よく眠れた。
今日、学校の人達としゃべっている自分があんまり無理してないのがわかって、友人様々だなととても感謝した。人に一番大きな影響を与えるのは人だとか確かそんなことを心理学者が言ってた気がするんだけど、ほんとにつくづくそう思う。いい意味でも悪い意味でも。無理するのはやはりしんどい。
で、今日、7月末にやるグループ展の下見をメンバーでやって、一人で違うギャラリーに行き、知り合いのギャラリストさんに写真を見てもらう。たまたまそこで展示をしてた作家さん(これがちょうメルヘンでかっこいい写真だった)もいて、一緒に見てもらう。チョイスをきちんとして、見せる形にしていなくて(というかそれができないから困ってる)適当にババーっと見てもらったんだけど、無理しなくていいよーと言ってもらえてまた気が楽になった。私は人の言葉を鵜呑みにしすぎるから、身動きがとれなくなる。自覚しているんだけどなかなかなおらない。すごい無尽蔵な写真群を否定もしないで一緒に考えてくれる人がいるっていう環境がありがたいなと思った。また見せてよ、とまで言ってくれるのが本当にありがたい。ハッピーな写真がとりたい、と言ってるわりに写真が暗くて、まあそれは自覚してて、先生に言われたこととかを考えたりしていたんだけど、結局自分が無理してたらしんどいし続かないんだよなー。無理することも大切かもしれないけど、そうやって全ての可能性を残すことは無理だし、捨てないと前に進めなかったりもするので、私は無理する選択肢を捨てる!楽にやるよ。チョイスに関しての話だけど。自分が楽しくできるのが一番いいわやっぱり。仕事じゃないんだし。で、ちょっとハッピーなんでした。今日見たメルヘンファンタジーな写真のタイトルがStrawberry happy birthdayで、なんとメルヘンな…とおもたんでした。めっちゃ可愛い。しかし撮っているのは20代後半のいかついお兄さんで語尾に「〜っス」とつけそうな勢いでギャップがまたおもしろかった。ときはなたれよわたし!持続させよハッピー!