感性

私は変な人になりたくて、変な人への憧憬を抱いて、今まで生きてきたように思う。変な人はカッコイイ。ここで言う「変な人」はアウトサイダー的意味合い。そう私はアウトサイダーになりたかった。普通じゃない、みんなと違う、自分は特別でありたかった。
かっこいいもの、オシャレなもの、人とは違うものを好んだ。尊敬する人がいいよこれと言ったものを好きになった。私は本当にそのもの自体を「かっこいい」と思い好きになったのかわからない。ただ人と違うものだからなのかもしれない。「それ」が好きな自分が好きなだけなのかもしれない。そんな風にしか物を見てこなかったんじゃないのかと、ふと今日自転車で帰っている途中で思った。

私が好きな写真。アラーキーの写真、深瀬昌久の写真、古屋誠一の写真、thomas ruffの写真、牛腸茂雄の写真、川内倫子の写真、私はこの人達の写真がどうして好きなんだろう。今までに磨かれてきた感性(プラスにかマイナスにかはおいておく)をそうやすやすと信じられない。アウトサイダーになりたかった自分。なれなかった自分。そんな自分の感性はどんなものなんだろう。だからよく自分の好きなものに疑問が生まれる。本当に私はこれが好きなのか。これが好きな自分が好きなだけなんじゃないのか。モノを創る人になろうとしているのに、これはどういうことですか…私は本当に何がなんだかよくわからない。感性って何だ。どうしたらいいんだ。
このようなことを書くこと自体が「私こんなこと考えてます〜」っていうアウトサイダー気取りうんこまみれ人間の行為なのかな。というかこんなことたぶん誰でも考えてるよ。と否定。もうほんと何がなんだかわからんぜ!感性のバケモノになりたい!!!!!!!!


感性のバケモノになりたい―十文字美信写真

感性のバケモノになりたい―十文字美信写真